「山登り」と「海水浴」

(01)諸々

『目標達成タイプ』と『過程を楽しむのが目的タイプ』

仕事の場面で、

〇目標に向かってまっしぐらに頑張り、目標達成することを喜びとする人

〇目標を達成することよりも、そこに至るまでの過程を楽しむことを喜びとする人

と、大きく分けて2タイプあるように思います。


さて、私、2016年に病気したことで、それまで5年程通ってたお料理教室を一時退会し、また元気になったら通おうと思ってたら思いのほか忙しく、そうこうしてたらパンデミックに突入し、お料理教室のことが頭からすっかり消えておりましたが、去年の12月の公演が終わりってひと段落し、
「仕事ばっかしてると疲弊する。何か趣味をやりたい」
と思い、お料理教室に復帰しました。
月に1~2回、行ってます。

料理って、アートなですよね。
ただ美味しければいいってもんじゃなく、盛り付けの美しさや、彩りなんかも気を使ったりして、とってもアート。
そして、先生や他の受講生とほのぼのと料理を作り、綺麗に盛り付け、美味しく戴きます。
フラメンコも同じくアートで、作る喜びも、披露する喜びも、人と繋がる喜びがあります。
敢えて違いを探すとすると、フラメンコはジプシーの迫害とか苦しみとかから派生したものなだけに人間の闇を感じます。
光もあるのですが、闇の中にある一筋の光に希望を見出し、生きて行くって感じの光です。
一方のお料理教室は、正に光!
愛と笑顔と至福。
光そのものが溢れてる。

①てまり寿司、②豚肉と筍の煮物、③カニの餡かけ茶わん蒸し、④わらび餅

フラメンコの教室を始めるに至った流れと似てる!

そんな感じで、居心地も良く、楽しいのでルンルンしながら通っておりましたら、
「森山さん、ライセンスを取らない?」
とお誘いを受けました。

ライセンスとはなんぞや?と聞いたら、のれん分けみたいな感じで、そこのレシピを使って教室を開いたり、全国展開しているその教室で講師として仕事できるようです。
その他にも、割引制度とか、ライセンス保持者だけの豪華なクラスがあったりと、とてもお得らしい。

ちらっとその話を聞いた時に、
「いや、さすがに教室は開かないでしょ」
って思いつつ、
「そうか。フラメンコ教室の経営が芳しくなくなったら、空き時間を利用して料理教室でバイトするっていう手もあるのか!」
とも思いました。

そして、思い返すと、フラメンコの教室を開くに至ったのも同じ感じだったなって思いました。
最初フラメンコは、
「仕事と家の往復ではなく、何か趣味でも始めて、そこでお友達を作って、楽しく日々を過ごしたい♡」
と思って始めました。
「フラメンコでプロになって、教室を開いて、食っていくぞ!」
なんてできるとも思ってませんでしたし、そんな発想は全くありませんでした。

フラメンコは、ただ日々の生活を楽しく過ごす為の手段に過ぎなかった。

ところが、フラメンコを習ってみたら、あまりに楽しくて、楽しくて、そこそこ稼げた安定したお勤めを辞め、スペインにまで勉強に行っちゃったりして、そんで戻ってきたら、「せっかくだから教室を開こう!」と思って教室を始めたのでした。
でも、「数年やってみて、生活していけそうにないならば前の会社に戻ろう」とも思ってました。
でも、好きなことなので一生懸命やってたら何とか続けてこれました。
なので、目標設定をして達成したというより、ゆらゆらと揺られてたら行きついたって感じ。

そこで私、思った。

舞台を作るとなると、「舞台」という目標もあるし、期限もあります。
なので、そこに向かってまっしぐらに突っ走っていきます。

ただ、私は、その目標を達成することそのものが舞台を作る目的じゃない。

私は、目標を達成する為、成功する為に踊るのは疲弊するし、あまり楽しみも見いだせない。
踊る意味を見いだせないし、もう、あまり、そういう舞台では踊りたくない。

そうじゃなく、目標に向かっていく中で、仲間たちと一緒に作品を形にしていく過程を楽しむというのが合ってる。
もちろん、高みを目指したいって思いはあるんです。
だから、その時の最善を尽くし、最高のものを作る頑張りはします。
良い舞台にしようと必死になります。
自分が思い描いてたものを具現化できなかった時は、悔しくて奥歯が擦り切れます。

ただ、人生の成功を求めて舞台を作ってない。

「いい作品を作る」というのを目標に掲げ、他人からの評価を得るのを第一の目標とするなら、出演者はプロを使うのが手っ取り早い。
去年の12月公演が終わって以降、「次は何をしようか」と朧気に考えた時に、「プロを使った舞台を作るのもありかも」というアイディアが一瞬頭をよぎりましたが、それは数日で打ち消され、今では全くその想いはありません。

生徒さんたちとは深い話をしなかったとしても、少なくとも週に1回は会っているので、どんな性格なのかとか人柄とか分かってきます。
そして、頻繁に会ってるので愛着も湧きます。
そして、長い人だと、1コンパス年も通ってきてくれています。
皆、私を慕い、この教室を愛し、仲間たちと温かい心の交流を築き、遠いところから通ってきてくれています。
そして、何度も何度も舞台を共にしました。
私が舞台を一緒に作る人たちで、これ以上に繋がりの深い人たちはいません。

私は、私の愛する人たちと一緒に舞台を作るというのを楽しみたいし、その過程を得て、最後のご褒美として本番の舞台があるのがいい。

一見目標に見えるもの(舞台)は、実は目標ではなく、幸せに過ごす為の手段に過ぎない。

幸せに暮らすには、成功者である必要はない。
逆に、成功者だからって幸せとは限らない。

成功者になりたいんじゃなく、幸せに暮らしていたい。

例えて言うなら、「山登り」をするか、「海水浴」をするか。

「エベレストの頂上を目指すぞ!」
という人たちの過程はハードです。
でも、山頂に到達した時の充実感は計り知れないと思います。

一方の「海水浴」は、浜辺で皆できゃっきゃとしてる感じです。
山登りのような苦しさはありません。
家族や友人・知人とやってきて、のんびり日焼けをしたり、BBQしたり、海でちゃぷちゃぷしたり。
目標はなく、ただ楽しむのみ。

私には、山登りタイプはしんどく感じます。
目標に達成できないと折れちゃいそうになるし、目標達成した後にまた次なる目標を探さないとならないし、次なる目標も見つからなくなれば、山に登る意義も見いだせなくなり、途方に暮れる。

そもそも、世の中の成功者っていわれる人たちって、実は「山登り」的に仕事に取り組んだっていうより、「海水浴」的なんじゃないかしら。

ただ楽しいから、頑張ってるつもりもなく頑張れた。
そうこうしたら、達成したものの数も増えてきた。

って感じなんじゃなかろうか。


料理教室での思いがけない展開から、
「私は海水浴を楽しむように、フラメンコに携わっていければいい。
それが私の幸せだ」
と改めて気付けたのでした。

そして、今、4月29日も、30日も、6月25日も、そこに至るまでの日々を皆と楽んで行っており、幸せな日々を過ごさせてもらってます(*^-^*)

余談ですが、この前、エミリオと雄輔さんとエンサージョをしました。
何度もうちのスタジオに来たことのあるエミリオは勝手知るもので、スリッパのある場所から勝手に出して勝手に履きます。
ところが、後から来た雄輔さんはスリッパを履かずに靴下でいました。
そしたら、エミリオがささっとスリッパ置き場に行き、スリッパを雄輔さんのところに持ってきて、「どうぞ」と足元に置いてあげるという気の利かせっぷり。
その光景が、あまりにほのぼのしてて、
「マエストロ~(≧▽≦)」
と可笑しくなっちゃいました。
とっても優しく面倒見の良いエミリオと、木偶の坊の私と雄輔さんでした。

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