スペインで感銘を受けた先生
多くの先生に習い、多くの先生に感銘を受けてきましたが、
「もっと踊りたい」
「もっと学びたい」
「もっと頑張りたい」
という気にさせてくれた先生は、マヌエル・ベタンソでした。
振付を教えるでなく、
振付の意味や振付で使われている一つひとつのパソの解釈を細かくかみ砕き、
分かるまであの手この手で教えてくれる。
そんな先生は、ベタンソ以上の人を私は知らない。
芸事の基本は、「見て盗む」だとは思う。
だから、言葉で上手く説明できない先生がダメな先生とは言わない。
そういう先生は、べタンソとは違ったところに良さもあったりする。
けれども、まだフラメンコの何たるかを分かってるようで分かっていない頃の私に、
「フラメンコの動きってこうなのかぁ」
と分かるように説明してくれ、
「スペインで学びたい」
という気にさせてくれたのはベタンソだった。
「振付じゃない。振付なんて、1ヵ月もすれば忘れる。
けれども、踊り方を学び、それを習得したら、どの振付であってもできるようになる」
と初めてベタンソのクラスを受けた時に彼は言っていた。
7日間で15時間ののクルシージョで初級のアレグリアスを取りました。
振りは覚えていません。
サリーダから1歌が終わり、シエレするところまでしか進みませんでした。
けれども、すごく満足しました。
「振付を習い、覚え、正確に踊れるようになったからと言って、フラメンコを踊ってるとは言えないんだ」
と気付かせてくれたのもベタンソでした。
「テクニカ」という言葉を聞くと、たいていの人は、サパテアードの打ち方とかブラッソの使い方とか、ブエルタとかって思うじゃない。
もちろん、それもテクニカなんだけど、それができた上でのパソにおける身体の使い方とか音楽のノリとかもテクニカだ。
ベタンソは、振付をし、振付を通して関連するテクニカを教えるのがすごく上手い。
私も振付をしてしまい、その振りに関連するパソを元にテクニカをすることが多い。
テクニカだけってのはあまり時間を取らない。
振付の中でテクニカをする。
それは、ベタンソを始め、セビージャの先生がそういうやり方をする人がほとんどだから。
マドリだとテクニカだけのレッスンってあるそうだけど、セビージャではまれ。
アンヘル・アティエンサ以外では、あまり聞いたことがない。
たいていは振付のクラスの中でやる。
私がクラスでやってるスタイルは、そういったのを模倣しています。
とにかく、ベタンソは生徒をノセるのが上手い。
やる気にさせてくれる。
レッスン中に、ただきちんと踊るでなく、ロボットでなく、血の通った人間として、一生懸命に踊ろう!って気にさせてくれる。
実は、私は彼の振付はあまり好きじゃない。
私には似合わないってのと、
ちょっと凝り過ぎているのと、
お抱えのギタリストが弾くファルセータに合わせた振りとかがあったりして、
そのまま日本では使えないなぁってものが結構あるから。
スペインで、
ベタンソのレッスンで、
ベタンソにのせられながら勢いで踊るなら有り。
ってものも、
日本で、
ベタンソがどう生徒に教え、どうバックアーティストに指示していたのかを見ていない日本のバックアーティストに、
十分に踊りで説明できるだけのものを持っていない私が、
日本で踊るのは非常に危険だ。
音楽とかみ合わずに、ただ振りを追うだけになる。
だから、彼のクラスを取り、振付を習ったとしても、振付目的ではなく、
「ああ、こういうパソはこういう身体の使い方をするのか」
「ああ、こういうパソはこういう音のとらえ方をするのか」
「ああ、こいうニュアンスなのか」
とテクニカを取る感じで受ける。
だから、ベタンソのクラスを受けるなら、どっちかっていうと振りがバンバン進む中級、上級クラスよりは、一つひとつのパソをかみ砕く初級クラスの方が私の目的には合っている。
「振付を習いたい」
ってのではなく、
「フラメンコの動きってこうなのか!」
というのを学ぶにはベタンソはすごくいい。
そして、
「フラメンコってこうなんだよねぇ」
ってのは、日本にいると結構忘れてくる。
それじゃいかんと思って、たまにベタンソのアカデミアの宣伝の動画を見たりして、
「そうそう、こんな感じよね」
と思いだしたりしている。
これだけ多くの先生に習ったりしていると、
レッスンを取って、
「なんだか心が洗われる」
と感じる先生と、
「この人は踊りは上手だけど、結構ドロドロしてそう」
って先生を何となく感じ取る。
もちろん、中間もいる。
ベタンソのレッスンを受けると、私は心が洗われます。
聖人の側にいて、自分の魂までもが清らかになるような感じを受けます。
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