生徒が褒められた。るん!

(01)諸々

今日は庸子先生にお目にかかることがあり、少しだけお話ができました。

先生は去年の10月公演に先生は見に来てくださっていて、
「生徒さんたち、上手くなったね」
と言ってくださいました( ;∀;)

私、嬉しい。・゚・(ノ∀`)・゚・。
皆、頑張ったものね。
色々とハプニングもあり、上手く行かなかったこともあれど、それでも頑張ったことがなしにはならないし、上手くなったことは見る人が見れば分かる。

庸子先生は、私が踊り以外のことに頭悩ませ時間を割いていると、そのことに直接的には何も触れてはきませんが、別の形で鉄拳をくださいます。

意訳すると、
「そんなことやってないで、やるべきことをやりなさい」
ということだと私は受け取ってます。

頑張ったって無駄なこともある。
時間は有限。
気力も有限。
だったらその時間や気持ちを、舞台を作ること、自分の踊りを向上させること、生徒を育てることに使ったらいい。
それだけでも時間が足りないのに、それらに集中できなくなってしまうような、足を引っ張る何かに気を取られてしまうのは、とっても愚かなこと。

怒りや恨みを手放せないこと、正義に執着すること、過ちを水に流せないこと、無駄なプライドに固執すること、悲劇のヒロインになること。

それらは全て、人生において、前に進む邪魔になる。
邪魔をしてるのは他人じゃない。
自分の心持ち。

先生は、多分、日本のフラメンコ界の誰に対しても先生なんだと、いつもお話すると思います。
上手くやれなくても頑張ってれば黙って応援してくださいますし、上述のようなことに私がかまかけてると叱咤してくださいます。

庸子先生にお会いする時には、アントニオ猪木に頬を差し出す信者のような気持ちになります。

………

そして、本格的な話ではありませんが、「また真夏、生徒さんたちと出てよ」と言って頂けました。
きちんと考えて、計画しておっしゃったことではなく、ご挨拶程度にさらっと言ってくださったことだし、今年私は生徒一人ひとりの能力向上を目指させると決めてるので、生徒の出演は考えてません。
ただ、現実的な話になるかどうかは別ですが、そう言って頂けることは嬉しいことですよね。皆が頑張ったから言ってもらえるのよ。
そのお気持ちとお言葉は、生徒さんたちもありがたく受け取っておきましょう☺️💕✨
私は出るとしたら、別の形での出演を模索します。去年は自分とこの舞台で忙し過ぎて出れなかったから。

私、あの野音の舞台、好きなんです。
立ってるだけでも倒れそうな程の灼熱の中、バタとマントンという防寒具を着て、フルで踊るというご酔狂。
そんな状況で、「ああ、生まれてきて良かった🥳」って思うのだから、やっぱりドМですね😂😂😂

野音の舞台の上から見る景色は、とても清々しい。
緑の間から吹く風が心地よくて、他の舞台にはない格別なものがあります。

野音公演に初めて出た年に踊ったカーニャ ⇑
この動画は、1ヶ月後の新人公演で踊ったものですが、同じ振り、同じフォーメーションだった筈。
今見ると、「ああ、この振付はこうじゃなくて、あーしたいな~」ってのがありますね。
でも、あの時の私にとってはこれが最善。
良い思い出。
今思うと、私にとって転機となったのが、このカーニャを踊った2017年の野音だったなって思います。

余談ですが、2017年の野音では、上の写真を撮った後あたりから雲行きが怪しくなり、大雨が降りました。

透明の雨合羽を着て観て下さったお客様。

そうそう、コロナ前って、大雨にも関わらず、こんなにお客さんが入ってたのよね~。

2017年の最初の年は、「私たちが野音公演に出れるなんて!!!!」と私たちも舞い上がったけど、周りもすごい応援してくれて、大勢の生徒さん、友人、家族が観に来てくれました。
懐かしのロス・ドミンゴスも!

でも、この初出演の時には、庸子先生からは、
「皆さんの衣装が汚れてしまわないか心配でした」
というお言葉をもらったのみでした(≧▽≦)
踊りのことじゃなく衣装よ、衣装(≧▽≦)
それが、段々と「もっと精進するべくお稽古に励みなさい」と言って頂けるようになったり、
「生徒さんたち、上手くなったね」と言われるようになりました。
私たち、成長したのかもね(≧▽≦)

コメントは受け付けていません。