殻を破れない妹たちへ

(01)諸々

他人に評価を預けない

私、スペインに1年いったり、英語圏に短期留学を何回かして、子供のいる家庭にホームステイしたりして思ったことは、
「日本の家庭の躾けは世界標準からすると、どうやら厳しいのかもしれない」
というものでした。

世界でもすこぶるお行儀が良いとされる日本人。
その背景には、家庭での厳しい躾けがあるから。

ただ、躾がきちんとされているというのは良いことのように思うけど、そうとも限らないって私は思う。
なぜなら、それ故に私たちは『自分を見失い、常に自己否定を抱え、生きにくい現状に身を置く』という大きな代償を得ているから。

きちんと躾がされた子供というのは、別の見方をすれば、子供の頃から大人であることを要求された子ということになる。
これもスペインに居た時に思ったことなのですが、日本人はあまり子供が好きな国民ではないのではないかもしれない。
スペインでは日本よりも子供が子供らしく振る舞っているように思います。
それは、子供が子供らしく振る舞うことを、大人たちがカリカリしたり、目くじら立てたりしないからできること。
大人たちは子供たちを微笑ましく見ている。
もちろん、子供が行き過ぎたことをしてれば、
「こらこら」
と叱ったりはする。
それは親以外も。
でも、なんというか、日本より大らかさを感じました。

日本の親が子供に厳しい以前に、日本は世間が子供を持つ親に厳しい。
それは厳し過ぎるくらい。
だから私は、日本人は子供が好きな国民じゃないんだろうなって思ってしまう。
親は子供がちゃんとしてないと、自分が親として非難される恐怖から子供に「ちゃんとしなさい!」と言わざるを得なくなってしまう。

でも、それは、あるがままの子供自身を否定することになる。

子供は親のことが大好き。
無償の愛は、むしろ『親から子』より『子から親』の方にあると私は思う。
子供はどんな親でも、親の望む子になろうと心を砕く。
虐待するような親であっても、子供は親を愛する。
だから子供は、親の顔色を窺い、自分が自分らしく振る舞うと親が困った顔をすることを察知し、親が困らない良い子になろうと頑張る。
大好きなお母さんの為、お父さんの為に。
正に、無償の愛。
親の方は、「〇〇じゃないとダメな子」「△△な子はいい子」と条件付きの愛を子供に提示する。
自分の都合で子供を振り回し、機嫌次第で子供を容易にサンドバックにし、自分の価値観で簡単に子供に社会不適合者という刻印を押す。

子供は、
親の顔色を窺う。
周囲の顔色を窺う。
猫ですら、飼い主の顔色を窺う。

それは、自分以外の人に自分の価値基準を委ねることを意味する。

お母さんがいい子って言った子がいい子。
世間がいい子って言った子がいい子。

……

………

それらが、例え本来の自分とはかけ離れていたとしても、そうじゃなければいい子って認めてもらえないことを子供は躾を通じて学ぶ。

そして、本来の伸びやかな自分、個性を持った自分を押し殺して、親が言ったいい子の仮面をかぶっていい子を演じることになる。

La Puerta Abierta (扉を開ける)

私たちは心の中に檻を持つ。

そして、その檻には親に否定された本来の自分を入れ、扉を閉ざし、鍵を掛けてしまう。
なぜなら、その自分は親にも世間にも認められない、ダメな子だから。
恥ずかしいから外に出さないで、自分の心の奥底の檻に鍵を掛け、隠してしまう。

檻の外に出て、世間に見せている自分は、『親がいい子』と言った子の仮面をかぶった自分。
要は、親や世間の価値観によって評価され、「合格」をもらった子。
この子なら安心。
誰にも批判されない。

程度の差こそあれ、日本の家庭で育った子たちは、こういう一面を持つけど、でも、やっぱり、程度の差はある。

私は生徒の個人レッスンをすると、その生徒が心の檻に本来の自分を押し込めてしまった子なのかどうなのかが一発で分かる。
グループレッスンしてても、大抵は分かる。

そういう生徒は、踊りながら私の顔色を窺うから。
チラチラと先生の顔色を窺い、先生の表情から自分の踊りがこれでいいのか、それともダメなのかを探るということをする。
それは、先生に母親を投影しているかのよう。

私はその姿を見て、その生徒をとても気の毒に思う。
なぜなら、怯えてる子供の頃のその生徒の姿が目に浮かぶから。

そして、檻から本来の自分を開放する

踊りに限らず芸術全般は、本来の自分を表現していくもの。

親の評価、他人の評価を基準に作り上げた自分では限界があるし、そもそも、本来の自分を檻の中に追いやってるってことは、心を凍らせているってこと。
芸術は、頭で考えるものではなく、心で感じるもの。
心を凍らせて頭で考えたものじゃいい踊りにはならない。
ただ振りを正確になぞるだけのロボットのような器械体操になってしまう。

未熟であっても、ダメダメであっても、本来の自分、血が通った温かい心で感じ、素直に伸びやかに踊っていたら、それは素敵な踊りになる。

子供の頃の自分の親や世間が本来の自分を否定し、本来の自分で生きていけなかったのは仕方ない。
子供だったから、本来の自分を押し殺してでも生きる道を選ばざるを得なかった。
生き伸びる為には親に従うしかなかった。

でも、今はもう大人になった。

本来の自分を否定したのは親たち大人だけど、でも、心の中の檻に本来の自分を閉じ込めたのは自分。

だから、本来の自分を檻から出してあげましょう。

他人の評価、先生の評価を気にして、仮面をかぶって踊るのではなく、本来の自分で踊るようにしましょう。

その為には、
「先生、これでいいですか。
先生が〇〇しろって言えば、精一杯、その期待に応えるように頑張ります!」
ってのではなく、
「私はこうしたい!」
という自分の想いを見つけてあげてください。

「私がこうしたい!」
ってのは、世間から見て、
「こう踊ったら、皆にカッコいいって思われるかな」
ってのでもありません。
外側に意識を向けるのではなく、自分に意識を向けます。

心の檻に本来の自分を閉じ込めているタイプの人たちは、他人の期待を自分のやりたいことと取り違える傾向があります。
「先生や周囲の期待に応えないでいいから、まずは自分はどう踊りたいのかを見せて」
と言うと、とても困るようです。

檻に閉じ込めた暗闇にいる自分にも光を当ててあげましょう。

檻の中に閉じ込めた自分に対し、「もう出てきていいよ」と自分が許してあげられたら、その時、一つ殻を破れるように思います。

一例

ある日、私は昔からの友人と3人でご飯を食べに行きました。
一人の友人には中学生の娘が一人います。

その娘さんはアニメが好きなようで、コスプレして幕張メッセで開催されるアニメ祭りみたいなのに行くほどのオタクなようです。

私ともう一人の友人は、
「楽しそう!好きなことがあるっていいね!」
と超肯定的だったのですが、母である友人は、
「そんな娘、恥ずかしい。みっともない」
と眉間に皺を寄せ、苦々しい表情で全否定。

そう。その母の基準からすると、アニメオタクは母が見下すような人種であり、
「よりによって自分の娘がそんなオタクだなんて、みっともない!」
となります。

それでもアニメ祭りにコスプレして行きたい娘は、親に内緒で通販で衣装を購入しました。
でも、その衣装は母が在宅中に届き、娘が箱を開ける前に母は中身を確認し、
「お母さんに黙って、こんなのを買うなんて!!!」
と激怒。
ちーん。

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本来の自分を母から全否定された娘。
でも、母から全否定された本来の自分は、私やもう一人の友人からすると、全然否定するようなことではありませんでした。

結局、価値観が違うだけ。

他人の価値観や判断基準に振り回され、自分らしさを失っていくと、芸術分野だけでなくビジネスであろうと人間関係であろうと、人生そのものがドンドン下方に向かう。



自分らしく生き、自分らしい自分を舞台に上げ、光を当てていけるようにしましょう。

それは上手に踊ることより難しいことですが、踊りがより楽しくなります。


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