得意なこと、できることで仕事を選ばず、好きなことをやる。

(01)諸々

今日は、フラメンコそのものの話題からは大きくずれます。
ずばり、お金の話です。
でも、とっても大事なことです。
何故なら、綺麗ごと言ってるだけじゃ舞台はできないからです。
そして、お金は汚いものではありません。
お金は夢を叶えてくれるツールです。

私は、
『金は天下の回りもの』
って本当だなって、これまでの人生を通してつくづく思います。

ここでは仕事は大きく分けて2種類あるとします。

①得意なもの、上手くできるもの、

②好きなもの、夢や希望、情熱、笑顔があるもの

の2種類です。

①は、得意だし、上手くできるから、稼げるという自信のあるものです。
堅実です。

②は、好きなんだけど、「そんなんで食っていけるか。霞を食って生きてんじゃないぞ。寝言は寝てから言え!」と昭和の親たちに言われていてきたような、稼げる見込みは未知数なものです。

多くの人は親の言いつけ、世間の様子を見て①を選びます。
得意なことだし、できることだから、確実に稼げます。
これはこれで悪くない。
で、②は稼げないと思ってます。
だから、①で稼いで②を趣味程度にやろうって考えてたりします。
ところが、実は②を選んでも、お金は回ってきます。
むしろ、①の方が行き詰ります。
正に、金は天下の回り物!

逆境は『金と夢』を学ぶ英才教育の場

私は子供の頃から、何か私がやりたいことで親が支払いをしなきゃならないことがあると、
「いいとこのお嬢さんじゃないんだから、そんなことやらせてあげれない。うちにそんな金はない!」
と無碍に断られてきました。
子供は自分では金を稼げません。
故に、諦めなくてはなりません。
悔しくて、げんこつに結んだ手の平から血が滲みました。
「早く大人になりたい。大人になって、自分で金を稼いで、やりたいことやる」
と幼き頃の私は誓いました。
それと色々あって、子供の頃から私は親に見捨てられるという不安を抱えて生きてきたので、16になってすぐにバイトを始めました。
そして、学校を出て、就職した初任給をもらった時に、
「ああ、これで路頭に迷う不安を抱えて生きずに済む。私は私を生かす為の力をついに得た」
と感慨深さに耽りました。

安定? 何それ? 美味しいの?

さて、私は学校を出て、住友商事という日本の大手財閥企業に勤めましたが、なんとわずか3年ちょっとで辞めてしまいました。
20代半ばの小娘にも関わらず、今のフラメンコの先生やってるより全然稼げる程ものすごく給料も良く、ネームバリューもあり、一緒に働く人たちはエリートだらけなので、頭のいかれた人を相手にするような人間関係の苦労もなかったのに、辞めてしまいました。
「金さえあれば、好きなことできるのに」と子供の頃から誓ってた割には、
「稼げない=くいっぱぐれて、道端で野垂れ死ぬ」という不安があった割りには、
稼ぎの良い就職口への執着というものがありませんでした。
それよりも、
「フランスに遊びに行きたいから。仕事してたら1週間しか行けないけど、もっと長く行きたいから」
という方が大事でした。
今、大人になってつくづく思う。
20代の頃の私って、超怖い物知らずで、空恐ろしい。
親からは、
「そんないい会社に入って、何が気に入らないんだ。
そこで稼ぎが良くて、頭も良い旦那さんを見つければ、安定した人生が送れて、安心安全なのに」
と嘆かれました。

価値観の違いとは、正にこのこと。

『稼ぎが良くて、優秀な大学を出たような旦那さんを捕まえて、安定した人生を送る』
ということに、ものすごく重きを置いていた親。
そこに何の価値も見いだせない私。
価値がないどころか、
「そんな、ご冗談を。こんな若いみそらで結婚なんかして、子供までできちゃったら、私、自由がなくなっちゃう。この世界でまだまだやりたいことがある。自由が何より大事」
って思ってました。
だって、子供の頃から我慢してきたんだから、やっと稼げるようになって数年で結婚という牢屋に入りたくありませんでした。

で、念願叶って、フランスに遊びに行ったのでした。
給料も良かったので貯金もあったし、退職金もわずかながら出たので、お金には困りません。
楽しかった~(≧▽≦) 
はい。馬鹿です。
でも、人生においては、馬鹿なことをしてる時が一番楽しいんです。
それを人は、『夢や希望』って言うんです。

直感以上に信じれるものはない。直感>思考

私には根拠のない自信がありました。
根拠がないんだけど、私は私の直感を外したことがありません。

「金はいつでも必要なだけ稼げる」って根拠なき自信。

でも、時間は有限。
この若い時期は、今しかない。

その後、フランスから帰ってきて、派遣や契約社員で2年くらい働いていて、でも、もうちょっと稼ぎたくなって就職活動をしたら、一発で内定をもらえました。
ファイザーという薬屋さんです。
これまた、最初の住商よりも給料が良かった。
そのうえ、ここも頭のいい人の集まりだったし、外資系だっただけに働く環境も良くて、最高にいいところでした。
ここには10年いました。
教室を運営する上で必要なスキルをここで学ばせてもらいました。
感謝してもし尽くせない程、良くしていただきました。

でも、辞めてしまいました。

理由は、「フラメンコ留学したいから」。

最初、私が会社を辞めるって話をしたら、上司たちは引き留めてくれました。
「同業他社に行くなら、給料を上げてやる。いくら欲しいんだ」
とも言ってくれました。
でも、
「ノーノーノー。ワタシ、スペインニ フラメコヲ ベンキョウシニ イキタイノ」
と言ったら、皆、止まってしまいました。
医薬の世界でメディカルドクターやPhDを持ってるような方々です。
化学記号は分かっても、フラメンコ留学って何か分からなかったんだと思います。
その人たち、フラメンコ界にはわんさかいるそういう人たちを見たことがなかったんですね。
「こんなバカが世の中にはいるのか」
と内心で思っているのがテレパシーで伝わってきました。

でも、最終出社日には、女優の引退公演のように大量の花束や贈り物を各方面からいただき、皆さんに快く見送っていただきました。
そして、その花束がすごい量でとても電車に乗って帰れるものではなく、新宿からタクシーを拾い、タクシーの前と後ろの席にそれらを乗せて小岩まで帰ってきました。
新宿の高層ビル群を見上げながら、
「さよなら、サラリーマン生活♡、こんにちは、セビージャでのフラメンコ」
ってウキウキでした。
未来の不安なんて、私にはこれっぽっちもありませんでした。
だって、この豊かな日本で、日本人として生まれ育ったら、仕事に困ることはないって知ってたから。

好きを仕事にしている人には敵わない

その会社は製薬会社だっただけに、しょっちゅう、薬とかを勉強する自由参加のワークショップが開催されていました。
私にはつまんなくってね。
全然行きませんでした。
でも、周囲にいる同じ年頃の人たちは皆いそいそと行ってました。
ある時、その姿を見て思いました。
私、周囲にいる同じ年頃の人よりも、出世って程じゃないんですが、ちょっと認められていました。
でも、「今、私がその人たちより上の立場にいたとしても、いつか追い抜かれる。なぜなら、好きでやってる人には敵わない。いくら私がこの仕事を得意で上手にできたとしても、好きでやってる人ほどのモチベーションがないから、いつかは抜かれる」と感じました。
私、相手(上司)の好む態度を取ったり、自分を装ったりして上の人に気に入られて引き上げてもらってただけで、実際には中身がなかったし、ただのハリボテだったことを、誰よりも自分が分かってました。
「私はちゃんと、私の中を満たさなければならない。装ってることには限界がある」と気付き、「ならば、私は私の好きなことをしよう」と思ったのでした。

多くの人が将来の不安を感じ、安定した企業での仕事を手放すことに不安があるようですが、
私の場合は、好きを仕事にしている人がわんさかといる職場で、得意でできるって理由だけのものを仕事にしている方が、よっぽど将来への不安を感じました。

長くなったので、次につづく。





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