深い悲しみ、怒り、コラへ
フラメンコであっても、ミュージカルであっても、お芝居であっても、私は『コラへ』の強い人のパファーマンスが好きです。
コラへとは『怒り』と訳されますが、私のイメージではこのコラへは『怒りの元となる感情』だと思います。
怒りの元となる感情、それは、抑圧され、押し殺され、諦めさせられ、永い年月、自分の肚の中に封印された深い悲しみ。
このコラへは、火山のマグマのように奥深くに存在し、表には現れないので、普段はさも存在しないかように思われますが、でも人はこれを隠しきれません。
いい人を装い、他人から望まれる自分を演じていても、コラへは滲み出ます。
このコラへは、奥底に隠せば隠す程、腐っていき悪臭を放ちます。
コラへは、本来の自分とも言えます。本来の自分が、不貞腐れてる状態です。
だから、程々に外に排出されなくてはなりません。
フラメンコの歌も、ギターも、踊りも、パルマ、ピアノ、パーカッション、全て、コラへを外に出します。フラメンコは抑圧の後に必ず爆発があります。
フラメンコは当に、マグマを溜め込み、噴火する火山のようです。
誰もが奥底に隠し持っている何かを、舞台の上の人が表に表した時に、見ている人は自分の中のそれとシンクロさせ、涙します。
カーニャのマチョの歌詞は、
「皆、神様に健康と自由を祈願する。でも私は死を願う」
というもの。
絶望。
なんて暗いんだ。
怒り、コラへは、深い悲しみの二次感情。
憎んでも憎み切れない。
恨んでも恨み切れない。
到底、許せない。
感謝なんてできる筈がない。
殺意すら感じる。
そんな感情が私の肚の底にはいつでもくすぶり続け、やり場のない怒りとなってる。
それでも、深い闇の中に一筋の光を探す。
フラメンコは一筋の光。
だからフラメンコを踊る。
そして、たまにケーキを作る。浄化作用✨✨✨✨
こうやってバランスを取ってます。