「ありのまま」には2つある

(01)諸々

「ありのまま」という言葉がちょっと流行ったりしていますが、それはとても素敵な風潮だと思います。

ただ、「ありのままでいいんだよ!」という言葉を聞くと、

ダメな自分→ちゃんとした人になる
ぐうたらな自分→ちゃんとした人になる
グダグダな自分→ちゃんとした人になる
ヨレヨレの自分→ちゃんとした人になる
へなちょこの自分→ちゃんとした人になる

と言ったように、『ちっぽけな自分』を隠して、大きく見せているのを、「そんなの止めていいよ。ちっぽけなあなたも素敵だよ!」という話に捉えられますが、でも、私、実は逆もあると思ってます。特に、女性は。

というのも、生徒たちを見てると思うのですが、本当は光り輝くダイヤモンドなのに、ダイヤにホコリや泥を被せて、輝きを隠している人たちがいるから。

何故なら、輝くことにはリスク、デメリットがある。
輝かないことにはメリットがある。

若くて、可愛くて、性格も良くて、踊りも上手で…という子がいて、そういう子が、自然体でありのままの自分で振る舞うことは、むしろ珍しい。
そんなことした日にゃ、自分を守れない。

「痴漢に遭いたくなければ、肌の露出の低い服を着ろ」ってのと同じで、やっかまれたり、足を引っ張られたり、あることないこと陰口たたかれたり、いじめられたり、ハブにされたり、好きでもない男に好かれて迷惑被ったり、その男を好きな女から生霊飛ばされたり、そんな目に遭いたくなければ、目立たないようにする方がいい。
その方が女の子の集団に馴染める。
男性より学歴が低い方がいい、稼がない方がいい、馬鹿で意思を持たず、リーダシップなんか発揮せず、男の後ろに黙って佇んでいるがいい。
その方が女として愛されるから。

だから、ダイヤモンドはダイヤモンドであることを隠す為、自らに泥やホコリを付け、輝きを外に放たないように気を付けます。

ありのままの自分でいることは、簡単ではない。
弱くて劣った自分を隠す為、虚勢を張るのを止めることよりも、本当は素敵な自分をそのまんまさらけ出す方がよっぽど怖い。

私は生徒が出る舞台を作ることを生業にしています。
生徒さんには色々な子がいて、それぞれの良さを存分に出し、キラキラ輝いて欲しいと思っていつも舞台を作ります。

でも、舞台作りを始めて、ダイヤモンドであることを隠して生きている人の多いことに気付きました。

『自分を守る為、自らに泥やホコリを付けたダイヤモンドたちが、それらをはぎ取り、怯えず萎縮せず、ダイヤモンド本来の輝きを放つこと』

私はそれをしたい。

誰かに好かれる為に行動し、発言することを止め、私たちが私たちのままでいることは難しいけど、そこにチャレンジしたい。

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