Fuensanta La Moneta (Divino amor humano)

(07)スペイン

へレス・フェスティバルの3日目は、日本でも人気の高いラ・モネタでした。

 

モネタは、フラメンコを踊らせたらものすごくすごい踊り手です。

身体も良く動くし、フラメンコの醍醐味である野性的な動きも決まります。

けど、テアトロ作品ってのは、タブラオのように一曲丸々フラメンコを踊らないことが多々あります。

フラメンコのテクニカを使い、何かを表現する。

音楽がフラメンコじゃないこともあるし、無伴奏でサパテアードの音だけが響き渡ることもあるし、パントマイムのようなこともある。

だから、モネタにとっては、テアトロはアウェイなんじゃないかと思ったりもするけど、彼女は負けずと作品を創り続けている。

けど、タブラオでのモネタを超えるテアトロ作品に中々巡り合えません。

それでも挑み続けるのは、タブラオで終わるのが嫌なんだろうな~。

 

公演の最初の方だったので記憶は薄れておりますが、無伴奏でサパテアードの音がカタコトカタコトってので始まりました。

そして、それが長かった気がします。

日本で、年に2本見れたら有難いって位のスペイン人の公演で、これを見たとしたら、

「おおお!さすがモネタ!足音綺麗!すごい!」

って思ったかもしれません。

けど、へレスのフラメンコ・フェスティバルは、2週間、連日連夜、あちらこちらで公演を上演している為、優れた踊り手が次から次に出てきます。

運悪く、前日のビジャマルタ公演はカナーレスとグリロが踊った後だったので、あまりサパテアードに持ち味を持ってこれませんでした。

でもいいのです。

カナーレスとグリロは男性、モネタは女性。

女性には、男性のサパテアードに匹敵する別の魅力がある。

 

それと、何やら台詞を喋っていました。

というのも、この公演のテーマは、『聖女テレサ』だったそうで、テレサの詩を朗読していたみたいです。

聖女テレサというのは、スペイン人なら誰でも知ってるような偉人だそうですが、日本人の私には馴染みがありませんでした。

日本人なら、信長・秀吉・家康は、名前を聞いただけでもイメージが湧いてきます。

けど、外国人だと????です。

そんな感じです。

詩の朗読とか、台詞を話すとか、独白みたいのがスペインで流行りなのでしょうか。

この後、女性舞踊主の公演がいくつかありましたが、何人かがやってました。

舞台上の台詞、それも詩を聞き取れる程のスペイン語力がないので、何を言わんとするのかは分かりませんでしたが、分からないから故でしょうか、表現力の差は見て取れました。

話してる内容が分からないのに、何かを伝えようとしているのがこちらに伝わってくる人、そうでなくて、ただ喋ってるだけの人。

その差は出ました。

それは情感の差じゃなかろうか。

 

フラメンコは、誰かを演じることなく、その人自身を踊ります。

生身の自分をさらけ出し、表現とします。

けれども、こういうオブラ作品では、別の人になってキャラクターを演じることがあります。

そのキャラクターの想いや情感を自分の中に探し出し、それを表に出していきます。

 

モネタはまだ若いし、これからの人なので先の可能性まで否定できないですが、この公演を観た限りでは、彼女はキャラクターになって演じるよりも、彼女自身で踊ってる方が似合ってるような気がしました。

キャラクターになることによって、自分を解放できる人もいれば、キャラクターの縛りがあることで、自分を解放できなくなる人もいる。

モネタは後者な気がしました。

 

前述の通り、男性には男性の、女性には女性の持ち味があると思っています。

フラメンコの場合、男性はやっぱりサパテアード。するどい動き。勇ましさ。

それらは男性の方に軍配があがります。

じゃあ、女性は?って考えた時、私は情感じゃないかと思っています。

男の人でグチグチしてる人のことを、『女の腐ったの』って言います。

それ位、女の人はグチグチしているっていう表れでしょう。

私はそれを否定しません。

女の人の方が、グチグチしてると思います。

感情的だし、感情が尾を引くし。

けれども、グチグチする程の感情は、感情の豊かさの表れでもあります。

深みにもなります。

舞台のいいところは、負の感情も芸術として昇華し、人前に出せるところです。

女性は、己の中にグチグチしたものがあるからこそ、その部分を舞台で昇華することによって情感豊かな踊りと変えている。

女ほどにはグチグチしていない男には、そこまでの情感は表せない。

もちろん、個人差はあります。

女性でもカラっとしてる人もいるし、男性でもグチグチしてる人もいます。

モネタはあまりグチグチした感じが踊りに出ません。

「この人、いい人なんだろうなぁ」って思ったりします。そんな踊りしてます。

男性のような激しい踊りは合っているのですが、女性ならではの、しっとりと、けど粘り付くような情感は、やや薄い気がします。

ちょっとあっけらかんとして見えます。

そこが物足りなく感じます。

この人が本当にグチグチしていないのか、もしくは、自分の中のグチグチした部分を否定し、見ないようにしているから表に出せないのか。

でも、生物学的にでも女である以上、普通の男性以上にはグチグチしていると思うのですが・・・。

ましてや、彼女、子供を産んだみたいだし。

多分、彼女がテアトロでこういう作品を創り続けるのは、男性のようなサパテアードで踊るフラメンコではなく、情感豊かな女性らしいフラメンコに対する憧れが彼女の中にあるから。

まだまだ、若いので、これからの踊り手です。

肌にまとわりつくようなモネタの情感をいつか見てみたいです。

 

さて、この公演のラストにソレアを踊ったのですが、これはすごく良かった。

聖女テレサではなく、モネタになってた。

スカッとしました。

オブラ作品は、1時間半~2時間の間、延々とフラメンコが出てこないことがあって、フラメンコファンをじらします。

だから、最後までフラメンコが出てこないで終わると消化不良を起こした気になります。

モネタのは、最後の最後で、ガッツリとフラメンコであるソレアを踊ってくれたので良かった。

「ああ、やっぱ、モネタ、いいじゃん!」って思わせてくれた。

けど、動画には載ってない。

何故じゃ????

 

ラストには、衣装の胸のところを両手で引きちぎって、「がおーーー」って感じのことをやってた。

聖女テレサじゃなくてドミンゴじゃんか(笑)。

天晴!!!

 

 

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