Patricia Guerrero XXI Festival de Jerez

(07)スペイン

フェスティバル4日目のビジャマルタ劇場は、パトリシア・ゲレーロの公演でした。

 

パトリシアは、若い女性の踊り手ならではの可憐さと、どきっとするような色気があって、私の好きな踊り手です。

身体能力もものすごく高くて、身体も良く動きます。

私は、どのエスティーロだとか、身体が動く動かない、男性、女性、年齢など関係なしに、舞台の上で、ものすごい集中力を発揮する踊り手が好きです。

そういう観点で、初日のラファエル・エステベスには強く惹かれました。

群舞で踊ってる時、彼だけ、ものすごい集中力を発揮してるのが見て取れ、他の人との差をすごく感じました。

その集中力に惹きこまれる。

気が散っている人の踊りは見たら分かる。

「上手く踊らなきゃ」とか、「失敗したら笑われる」とか考えながら踊ってるんだろうなってのは分かります。

逆に、一杯いっぱいになってしまって、もう別の世界に逝っちゃってるのも一目瞭然。

それは集中してるのとは、ちと違う。

どのジャンルのダンスだろうと、オペラだったり、芝居だったり、何であれ、舞台に上がる人に必要なのはテクニックだけじゃなく集中力だと思う。

かく言う私だって、余計なことに気を取られず、踊りに集中し、神経を研ぎ澄ませるってのは難しい。

だから、そこを養いたいし、舞台の上の人の集中する姿を見て、その姿勢から学びたいと思ってます。

パトリシアの踊りには、やっぱり、他の人よりも集中力を感じる。

パトリシアだけじゃなく、冠公演をする人たちには、並外れた集中力がある。

 

それにしても、へレス・フェスティバル・・・・どんな公演内容なのかを把握しないで日程を組んでいるのでしょうか????

前日のモネタは、聖女テレサをモチーフとした作品だったので、当然ながらキリスト教とか教会の雰囲気が作品内にありました。

なんと、この日のパトリシアの作品も教会関係。。。。

その上、同じように静かな中で延々とサパテアードで始まる・・・。

テーマも、作品の作りも被り過ぎでしょって思っちゃいました。

スペインは敬虔なカトリックの国なので、キリスト教絡みの作品が多いのは仕方ないとしても、同じような年頃の女の人の似たような作品を、二日続けてぶつけてこなくったって、前期と後期に分けるとかできたでしょうに。。

 

衣装は、3着重ね着していたようで、舞台の上で一枚一枚脱いでいきます。

女性の解放、自由への渇望についてがモチーフだそうで、服を脱いでいくのは、抑圧されている女性の解放をイメージしているようです。

それは良く伝わりました。

パトリシアが、重い衣装を脱ぎ、ドンドン身軽になって行く様は、正に女性の解放でした。

そして、彼女は情感というものを踊りで表すのが上手い!

 

ただ、彼女がフラメンコを踊った印象がない。

群舞でちょこっとシギリージャを踊ったり、タンゴを踊ってたのは、なーーーんとなく記憶にあるのですが、あまり印象に残っていません。

代りに、男性2人が歌う賛美歌?聖歌?に合わせて踊ってた印象は残っています。

モネタの作品よりはしっかりした作りになっていたし、楽しめたのですが、最後の最後までフラメンコを踊った印象が残らなかったので、消化不良。

だったら、最後にガツンとソレアを踊ったモネタの方が印象に残る。

 

それと、パトリシアは、男性を踊りの上でアクセサリーとして使うのが上手い踊り手だと思う。

それは彼女の強みだ。

兎に角、この人には色気がある。

だから、男性と踊るのを見たかった。

けど今回は、女性とのパレハや群舞はあったけど、男性は出てこなかった。

「いやいや、彼女の強みからしたら、女同士のパレハじゃないだろ」って突っ込みを入れたくなりました。

前日のモネタにしても、この日のパトリシアにしても、すごくすごい踊り手なのですが、その人たちの強みを発揮できる作品を創るというのは、かくも難しいものなのかと思いました。

 

いい作品なんだけど、スカッとしない、ちょっと消化不良な公演でした。

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