Olga Pericet XXI Festival de Jerez

(07)スペイン

へレス・フェスティバル5日目はオルガ・ペリセでした。

 

多分ね、日本で目にするようなライブを見慣れた人たちからすると、

「うぉー、スペインだ!毎日公演が見れる!フラメンコを観るぞーー」

って思ってスペインのテアトロ公演に行くと、

「あれ?これがフラメンコの公演????」

って思うような公演がいっぱいあります。

そこは、頭を柔軟にして、

「フラメンコを観るぞ!」

じゃなく、

「作り手の個性が見える舞台作品を観るぞ!」

って気で行くといいと思います。

じゃないと、がっかりするかもしれません。

作り手には、何かしら伝えたいものがある。

舞台を作るって、お金も、気力も、時間も、ものすごくかかる。

ものすごくかけて作るのだから、何かしらの想いがある。

一曲10分のを踊って終わりではなく、一公演の中の最初から最後までを一つの流れとし、想いを込める。

フラメンコを観に行くのではなく、その想いを観に行く。

 

ちなみに、オルガの公演は、生身のオルガで踊るってよりは、何かキャラクターを踊る感じがいつもする。

事実、この公演も芝居の要素が結構あった。

でも、キャラクターを踊ったとしても剥き身にはなれる。

すると、キャラクターから透けてその人が見える。

オルガの公演は、いつもこんな感じ。

 

 

オルガの公演では、

「これがフラメンコか?」

って部分が多いのだけど、必ず、

「おお!フラメンコだ!」

というフラメンコらしい踊りが出てくる。

この人の踊りのスタイルや公演の作り方は、プーロ・フラメンコからは遠いような気がするけど、プーロ・フラメンコへの憧れを感じる。

私は、プーロフラメンコを踊れる人は、選ばれた人だけだと思っている。

日本人、東洋人、外国人、スペイン語分からない人、欧米語の持つリズムがない言語を話す人、平らな顔、扁平な身体、習い始めるまではフラメンコ音楽なんて耳にしたことなかった人、そんな人には本当の意味でプーロフラメンコってのは踊れないものだと思っている。

プーロ・フラメンコは血だとか、土地だとかと密接に結びついている。

真似事はできる。

けど、真似事だ。

そして、フラメンコの血も流れ、フラメンコの土地に生まれた人ですら、体型的に恵まれず、敢え無く、プーロ・フラメンコを諦め、モデルノとかバレエ寄りのフラメンコを目指す人ですらいる。

だとしたら、日本人の私は、「プーロ・フラメンコを目指します!」なんて、口が裂けても言えない。

フラメンコの家系に生まれなかった、フラメンコの土地で育たなかった、スペイン語もろくに分からない、そんな人たちに、フラメンコのノリなんざ、内在していない。

だったら、せめて舞踊としてのテクニックを磨こう。

身体の軸を見つけ、ブエルタの練習をし、サパテアードの音質にもこだわり、コンパスを学び・・・。

これは努力次第でどうにかなる部分もある。

血で踊れる筈のない私たちがフラメンコを目指すのであれば、ノリで踊るだけじゃなく、舞踊テクニカを磨くことは、フラメンコへの敬意の表れである。

そんな感じでプーロ・フラメンコではないスタイルの踊りの方に進んだとしても、プーロ・フラメンコへの憧れはある。

自分ができず、ならばできるものをやろうとした人であるからこそ、強いプーロ・フラメンコへの憧れがある。

私はオルガの踊りを見ると、この人は本当はプーロ・フラメンコが好きなんだろうなぁって思う。

プーロ・フラメンコが好きな人って匂ってくる踊りをする。

けど、プーロ・フラメンコを踊らずに、自分のできるスタイルを極め、懸命に踊っている。

 

 

世の中には、自分よりも恵まれた人がいっぱいいる。

そんな人たちを、やっかみ、妬み、陰で悪口を言って落とすことで、自分を上に上げて安心しようとする人たちがいる。

その人たちは、自分を上げる努力をするのではなく、上にいる人を自分の下に引きずり降ろそうと試みる。

けれども、その人たちが誰かを引きずり下ろしたところで、その人たちの惨めさは変わらない。

むしろ、益々惨めになる。

その一方で、恵まれた人に対し、その人はその人、自分は自分と割り切り、妬ましくなる位ならその人のことを見ないで、ただ自分ができることを頑張ろうと、自分に向かう人たちもいる。

持って生まれた人を妬んでも、やっかんでも無駄だ。

自分が持って生まれなかったことを悔やんでも無駄だ。

できる範囲で自分ができることをやるしかない。

 

オルガを見てると、そんな感じの人(後者の方)なのかな?って思う。

本当に、私の勝手な想像です。

レッスンを受けたことも、話したこともありません。

けど、舞台を見るとそう思う。

 

恵まれない体型、

どう見ても、ものすごく努力したよねって分かるテクニカ能力の高さ、

そして、フラメンコへの愛情。

 

喉から手が出る程欲しいもの、けど手にできないものを生まれながらに持った人たちが目の前を通る。

それを気にしないように努め、自分を見つめ、練習に励む。

持って生まれた人たちの中には、持って生まれたものに胡坐をかき、それ以上を身に付ける努力をしなかった故に、そこで立ち止まることもある。

いつしか、オルガはその横を軽快に駆け抜けた。

 

結局、他人は関係ない。

自分が何をするかなんだ。

自分のできることを頑張るしかない。

オルガの公演を観ると、いつもそう感じる。

だからオルガのことを、私は結構好きです。

但し、観るだけ。

習いたいとは思わない。

Olga Pericet XXI Festival de Jerez from Festival de Jerez Televisión on Vimeo.

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。