2月公演:テーマは『葛藤』

(03)舞踊団公演

来年の2月公演のインタビューを
パセオ・フラメンコで掲載して下さることになりました。
(皆、買ってね!)
それで、早速、質問がきました。
誰かと会話したり、
質問されたりすると、
自分の考えがまとまるのがいいですね。
ここ最近、色々な人と話をしていて自分なりに気付いた。
私は、いつでも「何となく」感じていて、
でも、「何となく」を他の人でも分かる言葉にするのは
得意ではないみたい。
だから、他の人に理解されず、悲しい想いをすることが多い。
けど、ここ最近は、その何となくを聞いてくれて、
分かりやすい言葉ににしてくれる人たちがいる。
とても助かってるし、何より嬉しいし、頼りになる。
パセオの小山社長もそんな一人。
小山社長が質問して下さって、
何となく、自分の中に存在していたけど、
明確な形となって表に出てなかったものが、
質問されることにより私が考え、明確になり、
アウトプットされました。
 
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フラメンコの踊りを見に行くと、
私はその踊り手の表情や全身を使った表現に魅了されることが多い。
それは技術力があるという前提の元ではありますが、
時に技術力が拙い人が発する何かに目が釘付けになり、
心臓を鷲掴みされることもある。
でも、表現力って何だろう?
タブラオなどで披露される一般的なフラメンコの場合、
コンパスに乗り、コンパスを表現するってのがある。
歌詞は表現していないことの方が多いように思う。
フラメンコは人間の持つ喜怒哀楽を表現すると言われているけど、
コンパスを表現することとは違う気がするし、
歌詞を表現していないのであれば何を表現しているのだろう。
多分、歌や音楽を聞いたインスピレーションのままに、
自分の中にあるものを表現している。
表現しているのは『自分』。
ソレアの音楽や歌を聞けば、悲しく切ない気持ちになり、
シギリージャの音楽を聞けば、苦しい気持ちになるし、
アレグリアスの音楽を聞けば、楽しい気分になる。
そんな風に感じたままに踊り、自分を表現する。
だから音楽に対する感受性が必要となる。
 
一方、バレエやオペラと言った舞台芸術では、
踊り手や歌い手は、「自分」をダイレクトに表現しない。
彼らが表現するのはキャラクター(役柄)。
キャラクターを通して自分がにじみ出ることはある。
けど、悲しみも、喜びも、怒りも、キャラクターのものだ。
踊り手や歌い手は、キャラクターは何を感じたのか想像し、
それを音楽に乗せ身体を使い表現する。
 
フラメンコでもテアトロで上演される作品には、
はっきりとした役柄が示されてないまでも、
踊り手が何かのキャラクターになり切って
踊ってるのが窺がえるのが結構ある。
もちろん、『カルメン』や『血の婚礼』のように、
もろキャラクターになって踊るものもある。
それは見ている人の想像力を掻き立て、
フラメンコを観る以上のものを見せてくれる。
せっかくテアトロで公演を行うのなら、
タブラオとは違ったものを見せたい。
そんな風に思いました。
 
私は、人間は葛藤している時が一番美しいのではないかと思う。
 
今回の公演では、
主要な登場人物は誰かを裏切りだったり、
嘘をついたり、
隠し事をしたりする。
けれども、
人を裏切り心が痛まない人はいない。
嘘をついて後ろめたさを感じない人はいない。
隠し事をして居心地の悪さを感じない人はいない。
誰も好き好んで裏切り、嘘、隠し事をしない。
せざるを得ない状況だったり、
人間の弱さだったり、
分かってはいても止められない激情がそれらをさせる。
そんな時、人は葛藤する。
 
主君・秀吉を裏切り、寵姫・茶々と逢瀬を重ねた三成の葛藤
愛する男・三成と引き裂かれ、
自分の親兄弟を殺した秀吉の側室になる道を選ばざるを得なかった茶々の葛藤
茶々の親兄弟を殺し、
憎まれているのは分かっていたけれども、
愛おしくて、どうしても側に置いておきたかった秀吉の葛藤
愛する夫・秀吉の天下統一を応援しつつも、
それに伴い秀吉が大勢の女を囲うのを許さねばならなかった
秀吉の正室:寧々の葛藤
自分の親兄弟を殺した男・秀吉の政治の道具として利用され、
けれども秀吉に頼るしか生きる術はなく、
政略結婚させられて行った、茶々の妹たち・お初・お江の葛藤
豊臣家や仲間・三成を裏切り、家康に寝返った小早川秀秋の葛藤
戦国武将の妻として、夫を追って自害する道を選んだものの、
幼き娘たちを残して逝かなければならなかったお市の方の葛藤
妹・お市を愛していたけれども、
天下統一の為、その妹の愛する夫を殺さねばならなかった信長の葛藤
そして、自分の為に愛する男が処刑されていくのに、
「三成が勝手にやったこと」と白を切り通さねばならなかった茶々の葛藤
 
主要キャラクターは、皆葛藤している。
なので、今回の公演の裏テーマは『葛藤』。
そこが見どころ。
どこまで踊り手たちがキャラクターの葛藤を表現できるか。
フラメンコの音楽はドラマチックなものが多く、
葛藤を表現するのにはすごく向いている。
演出する際も、そこに焦点を当てて行きたいと思います。
 
タブラオのフラメンコとは違った面白さを、
テアトロ公演ならではの面白さを披露したいと考えております。
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私は文章を書く際、
思い付いたことをツラツラと書くことはできるけど、
それを端的にまとめることは苦手。
だから、似たようなことを表現を変え、何度も言ってたりする。
とってもくどい。
だから長くなる。
こんな読みにくい文章にも関わらず、
このブログと前に書いた別のブログを
小山社長にそのまんま読んで頂き、
うまーい具合にまとめてもらおうと企んでます( *´艸`)
小山社長はぶっきら坊だけど、
あー見えて優しい上に超秀才なので、
きっといい感じにまとめて下さると思います。
自分に欠けたものを持ってる人が周囲にいて下さる有難さ。
ありがたや、ありがたや。

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