あと一ヶ月、日常の所作・立ち振る舞いを見直そう!

(01)諸々

ダンスを生徒に教えていて思うのは、美意識の高い人とそうでない人の仕上がり具合の違いは大きいということ。

綺麗になる為には、何か特別なことをしなくてはならないと思いがちですが、意外とそうではなく、ほんのちょっとの意識を変えるだけで、女は綺麗になれる。
1つのちょっとしたことは大した影響力がなくても、それを積み重ねていくと、かなりの影響力を持つ。

例えば、綺麗になる為に『5キロ痩せる』とか、大層なことをしないでもできることはある。
もちろん、5キロ痩せれるならそれに越したことはない。
でも、それは1日やそこらでどうにかなる問題ではない。簡単ではない。
そんな大変なことでなく、正面向いて立っているのを斜め45度にして、ウエストを絞って立つだけでも、身体はシェイプして見える。
明らかに5キロ痩せる努力に比べれば、小さい努力でできる。

美しさというのは、そういう小さい努力の積み重ねのような気がします。

踊りを教えていて、その小さい努力を意識して積み重ねている人とそうでない人の差は、持って生まれた素材の差より大きいと、つくづく思う。

どんなに素材が美しくても、美に対して意識が高くないと、その人は綺麗な人に見えない。
「あら、この人、良く見ると綺麗な人なのね」
って感じになる。
要は、良く見ないと美人だというのに気づかれない。
逆に、素材は普通なのに、すごく綺麗な人のようなキラキラオーラの人もいる。

キラキラオーラが出るか、出ないかは、その人の意識の持ちよう。


「どーせ、素材が良くないから」
というのは言い訳。

寝起きの私はひどい姿をしている。
でも、舞台に出る時には、綺麗にお化粧して、綺麗な衣装を身に付ける。

どちらも、同じ人間。
でも、見てくれにかなりの差がある。

「どーせ」
と言い訳して、寝起きのような恰好して表に出てはいけない。

言い訳する脳みそがあるなら、今の自分の素材をいかに美味しく料理するかを考えた方がいい。


黒い服に逃げない。
黒はコーディネートが簡単。
おしゃれセンスがない人でもそれなりに見える。
でも、黒ばっか着てたら、センスが磨かれない。
いざ、華やかな衣装を着た時に、衣装に負ける。
黒を使わないと決めたら、否が応でもセンスは磨かれていく。
「黒の代わりに紺を着ようかしら。こげ茶も悪くないわね。グレーもいいわね」
と考える。
「トップスを紺にしたら、ボトムは何色がいいかしら。
こげ茶なら?グレーなら?」
と更に考える。

シンプルな服をシンプルな服のまま着ない。
スカーフを巻く。
ネックレス、イヤリングを付ける。
そのひと手間を掛けるだけで、シンプルで地味な服が華やかに変わる。

顔周りに黒は絶対に持ってこない。
キツイ印象になるし、人によっては野暮ったく見えるし、何より老けて見える。
黒のトップスを着たら、かならず明るい色のスカーフを巻く。

耳元には、揺れるイヤリング/ピアスがあるといい。
華やかな印象になる。

「素敵なおしゃれさんだなぁ~」
って人たちは、必ず、このひと手間を自分に掛けている。


舞台の上にいる時だけ綺麗にしようとしたって、無理なんです。
普段の所作や立ち振る舞いは、知らぬ間に出ます。
日頃から意識を変えていかないと。
それに、楽な恰好ばかりしてたら、老けるのが早いよ。

昨日のクラスで私は生徒たちに、
「駅の改札を通る時の、スイカをピッとする姿すら、人に見られてると思って、美しくありなさい」
と伝えました。

背筋を伸ばし、指先まで意識して、スイカを『ピッ!』です。
乱暴にバン!とやってはダメです。
足音べたべたして、もしくは、靴の踵をカッコンカッコン鳴らして歩いてはダメです。

それが舞台の上で無意識に出てしまいます。


お客さんは、舞台の上の美しい人を見たいんです。
綺麗な人を見たいんです。

それは素材の問題じゃない。

崩れていても美しい人は、まずは様式美を知ってる人です。
そういう人が崩すから美しいのです。
様式美を知らずに、崩すのだけやってしまうと、それは「崩した」ではなく、「崩れちゃった」です。
ファルダとシャツの間、おへそが見えても美しい人というのは、
シャツをスカートの中に入れ、ビシッと着る着こなしを知っています。
ビシッと美しく決めることを知ってるからこそ、美しく崩せるのです。

まずは、衣装を着崩すことなく、ビシッと着れるように研究しましょう!

あと一ヶ月もないけど、日々の意識を変えて、本番の舞台でキラキラオーラを出していこう!

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