母が永眠いたしました

(01)諸々
私が三歳の時に家族で七五三参りをした時の写真を見ながら、30年以上も前に、私が書いた絵です。
写真には、写真を撮る父は映ってませんでしたが、私が描き足したのでした。

生徒さんたちにはお伝えしましたが、9月21日 母が永眠致しました。
3月19日には父も亡くなりました。

二人がスタジオに出入りしていた頃からいる生徒さんたちには、
生前、二人が大変お世話になりました。
皆さんのお世話をするつもりが、
逆に生徒さんたちに世話されてた両親でした。
ご迷惑をお掛けすることも多々ありましたが、
温かく接して下さり、とても感謝しております。
改めて、お礼を申し上げます。

さて、昨日、練習を再開しました。

今、習ってる真っ最中の新しい振付を踊るので、
何度も反復練習しないと頭にも身体にも入ってきません。
やるしかない。
それに、ある程度の速さで踊るとなると、
やはり身体を鍛えておく必要があります。
休んだら体力も落ちちゃう。
後一ヶ月で舞踊団公演なのに、休んでられない。

私が部屋にこもり、布団を被って思い出に浸ることを、父も母も望んでない。
スタジオで練習してたら、喜ぶ筈。

諸々のことは全部、弟夫婦がやってくれてます。
私、役立たずです。
権利も放棄したので、義務もなしとのことです。
我が弟ながら、なんて、できた弟なのでしょう。
私は背負うものも、失うものもなくなり、すっかり身軽、気持ちも軽やか。

私の中ではもう終わりました。
前を向いて、先に進むことにします。

生徒さんたち、友人たちには、随分とご心配をお掛け致しました。
皆様の温かい言葉に救われました。
どうもありがとうございました。


4月のエスペランサでのソロライブの時、
ソレアを雄輔さんから習い、二人で踊る予定でしたが、
その一ヶ月前に父が亡くなり、
新しい振りを覚えるまで気持ちを持っていけませんでした。
やってやれなくないけど、
やっつけ仕事のようになるのが分かってたので、
あの時は、二人で踊るのを諦め、
元々私が踊ってた私の振付のソレアを一人で踊りました。

それで、元々は出演を予定していなかった雄輔さんに
10月公演に出てもらい、そこでリベンジを果たそうと考えました。
4月にお披露目できなかったのを、
「見たかったのにぃい~」
と多くの生徒さんたちから惜しまれ、
私も中途半端で終わるのは嫌だったので、
「10月もお願いします」
と出演依頼し、それから少しず準備をしてきました。
ただ、まだ完成してません(^-^;

さて、10月公演の一か月前、今度は母が亡くなりました。
なんのデジャブかと思いました(^-^;

でも、今回は踊ります。

雄輔さんにも、今回は踊るって宣言しちゃったので、やるしかない!


親が先に死ぬのは当たり前。
6年前、癌を患い、
その当たり前ができないかもって思った時があったので、
その当たり前を当たり前に行えて、私はホッと一安心。

娘の目から見ても、母はつらい想い、痛い想いをいっぱいした、大変な人生だったと思います。
母を失った悲しみや寂しさよりも、母がその苦しみから解放されて、良かったという想いの方が強いです。

父母の死をきっかけに、私は私の道が見えました。

その道を真っ直ぐ歩いていきます。


注) 動画のソレアは新しい振付ではありません。
これは元々持ってる私の振りです。
この後に、新しい振付が続くのですが、本番までのお楽しみ☺️💕🌸✨

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