舞踊団公演10曲目:シギリージャ

(03)舞踊団公演

エリザベスを暗殺しようという企ては確かにありました。
中でも一番エリザベスの頭を悩ませたのはメアリー・スチュアート。
スコットランド女王にして、イングランドの王位継承権も持つ、美しきエリザベスのはとこ。
「メアリーは愛だとか恋だとか囁く男に騙され、いいように操られるから始末に悪い。
メアリーが持つ王位継承権に惹きつけられ近寄ってくる権力欲の強い男たちに、どうか利用されないで!」。
そうエリザベスは思わざるを得ないのでした。
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快楽の為の性行為を禁じ、子を成す為の性行為のみを認めたキリスト教。
それ故、一夫一妻であり、婚姻関係にある者同士以外の性行為は悪とみなされてきました。
当然ながら、婚外子は悪の行為の結果だった為、罪の子と扱われ、嫡子と同様の権利なんて全くない子でした。

そして、離婚を認めていないキリスト教。
ヘンリーは最初の妻キャサリンとの結婚は無効であったあと主張し、別れます。
離婚ではありません。
そもそも結婚してないってことにしました。
でも、この結婚が無効でなかったとしたら。

多くの国民は、これが無効でなかったことは知ってます。
ヘンリーが愛人と結婚したいが為に言いがかりをつけただけで、ヘンリーとキャサリンはれっきとした夫婦でした。
となると、その後に結婚したアン・ブーリンとの結婚こそが無効です。
それは、アンから産まれたエリザベスが庶子であるということを意味します。

庶子は王位継承権を持てません。

「不義のベッドから産まれた私生児」
とスコットランド女王メアリー・スチュアートはエリザベスを蔑み、
「私こそが正当な王位継承者」
と名乗りを上げます。

メアリーは3度結婚します。
彼女の王位継承権に目がくらんだ強欲な男たちが近寄り、彼女に甘い言葉で囁き、夫となり権力をふるいます。

このメアリー・スチュアートも、姉のメアリー一世と同じように、夫に愛されようと必死になり、彼らの言いなりになります。

自分で自分の価値を信じられない人は、誰かに愛されることで自分の価値を計ります。
自分で自分の価値を信じられない人は、誰かに褒められることで自分の価値を計ります。
自分で自分の価値を信じられない人は、誰かの役に立ち、感謝されることで自分の価値を計ります。

自分で自分の価値を信じられないから、自分以外の人の反応を気にし過ぎて、振り回されてしまいます。
そして、自滅していきます。

誰かに愛されようと、愛されなかろうと、
誰かに評価されようと、評価されなかろうと、
役に立とうが、立つまいが、
その人の価値は変わらない。

「えっ?!」って思うかもしれませんが、そんなもんです。

かの巨匠ゴッホの絵が生前は全然売れなくて、全く認められてなかったのは有名な話。
でも、彼の絵が評価されようと、されなかろうと、彼の絵は変わらない。
評価されてなかった時は、下手な絵だった訳じゃない。
価値はあったものの、それを評価できる人がいなかっただけだった。
評価されてない時も、された後も、ゴッホはゴッホだった。


メアリーは夫の役に立ちたかった。
役に立って、愛されたかった。

「あなたの方が正統な王だよな。だから、エリザベスを引きずり降ろして、あなたがイングランドの国王になっちまえよ」と夫は彼女に囁いた。
「馬鹿な妻には適当に愛でも囁いとけば、いいように操れる。
そうしたら、妻をお飾りの国王にしておいて、イングランドの実権は自分のものになる」
夫はそう思った。
夫はメアリーを愛してなんかいなくて、彼女が持っているものを愛していた。

メアリーは夫を愛してたわけじゃないと思う。
ただ、愛されたかっただけ。
だから、彼が欲しいというものを手に入れる為、その役に立てるなら、それで優しくされるなら、愛されるなら、イングランドの正統な王位継承者だと名乗りを上げる位のことはいくらでもした。
本当に、彼女がイングランドを欲しかったんじゃない。

主張は強いけど、メアリーには自分がなかった。

エリザベスが国王でいることで美味しい立場にいるエリザベスの側近たちにとって、メアリーは危険分子。
当然ながらメアリーのその主張を退けようと躍起になる。
「メアリーが存在している限り、エリザベスの国王としての座は安定しない。
だから、始末しましょう」とエリザベスに進言する。

エリザベスは見抜いていました。

メアリーを擁立する人たちが、メアリーの為にやってる訳じゃないことを。
エリザベスを擁立する人たちが、エリザベスの為にやってる訳じゃないことを。

どちらも、立場が違えど、自分たちの利益の為に、メアリーもしくはエリザベスを利用し、担ぎ上げているだけ。


エリザベスとメアリーは「はとこ」だそうです。
割と近い血縁。

血を分けたメアリーが、周囲の男たちにいいように利用され、踊らされ、身を滅ぼす道まっしぐらなのを、エリザベスは悲しく思いました。
それは、一歩間違えれば、自分もメアリーと同じような立場に立たされることを知っていたから。


メアリー側が何か仕掛けてくれば、エリザベス側はそれに応戦せざるを得ません。
メアリー側が何も仕掛けてこなければ、エリザベスはメアリーを潰しにかからずに済みます。

一歩間違えれば、同じ道を歩むことになるであろう、同じような立場のメアリーの破滅をエリザベスは望んでいませんでした。

二人は相対する立場にありましたが、二人は同じでした。

メアリーはエリザベスであり、
エリザベスはメアリーでした。


自分に挑んでくるメアリーを追い払いながらも、滅びゆくメアリーをエリザベスは哀しく見つめます。
それは、彼女が自分でやってることじゃないのを知っているから。


エリザベス役の私とメアリー・スチュアート役の舞踊団の富松真佑子が、
哀しき対立と慕い合う姉妹の情をシギリージャで見せます。

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余談ですが、以前、とある生徒さんに、
「あなたが上手くても、上手くなれなくても、私はあなたを好きだよ」
と伝えたことがあります。
その子、不安そうだったから。
無理して、頑張ってたから。
上手くならなくても本人がそれで楽しいなら、無理しないでも、それでいいと思ったから。

何となく分かるのですが、
上手くならないと先生に愛されないと思う生徒がたまにいます。

大抵の生徒は、そんなに先生に愛されることに執着しません。
仲良くやりたいし、好かれたいとは思ってるでしょうが、それよりも自分が楽しくあることの方が大事です。
すごくまともで正常。
さっぱりとしてて、空気も軽いので、付き合いやすい。

上手くならなければ、舞台には声を掛けてはもらえません。
そりゃ、そうだ。
でも、それと愛情は別物。

『上手いから愛してる。
上手くないから愛されない』

それ、一体、どこで身に付けた価値観なんだ?

「フラワーロードを歩く時でも、舞台の上で歩くように、颯爽と風を切って歩きなさい。
道行く人が振り返る位、視線を集める気概を持って、背筋を伸ばして歩きなさい」
と生徒にはいつも言ってるにも関わらず、ぺったん、ぺったん、歩く子たちがいる。
「やれやれ」
と思いつつ、そんな子たちも可愛いのです。

役に立たなきゃ、可愛がられない。
上手くなきゃ、可愛がられない。
綺麗じゃなきゃ、可愛がられない。
金払い良くなきゃ、可愛がられない。

そのヘンテコな固定概念は捨ててね。

「捨てられる」と不安になる人程、よく考えてみて欲しい。
「捨てられる」という想いは、あなたの不安が勝手に生みだした幻想じゃないですか?
その人が本当にあなたを捨てましたか?

悪い子したら、「こら!」と叱るし、
ダメな子ダメな子だったら、「ちゃんとしなさい!」と注意はするけど、
だからって嫌いになるかっていうと、そんな程度で嫌いにはならない。

メアリー・スチュアートも、それが分かれば良かったのかもしれないですね。

世の中に多く存在するメアリー・スチュアートに贈るシギリージャです。

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